ここんとこ、あまり映画が観れていなくてちょっとストレス気味。
今回はお盆前後に観た映画です。
『天然コケッコー』
今回はお盆前後に観た映画です。
『天然コケッコー』
『少林虎鶴拳』
『続・少林虎鶴拳』
『キング・ボクサー大逆転』
『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』
『ブルーサンダー』
『プロジェクトA』
『バトルクリーク・ブロー』
『カプリコン1』
『シュレック3』
『天然コケッコー』・・・高校の文化祭の空気感を見事に切り取った『リンダ・リンダ・リンダ』といい、山下敦弘監督は思春期の何気ない描写が抜群に上手いです。本作のスレてない田舎の女子中学生の様子も、高校生より子供、小学生より大人の微妙な時期を、観ていても「あー同級生の女子や、妹が中学生の時ああだった」と思わせるだけの説得力があります。しかも観客自身の思春期の記憶をほじくり出され、あの頃の痛みをリアルに突きつけられるもんだから、コンディションの悪い(?)時に観ると切なくハマってしばらく立ち直れなくなる危険性ありです。
『少林虎鶴拳』・・・敵の白眉道人を倒せなくて、途中で主人公が替わるという『ジョジョの奇妙な冒険』、はたまたカンフー版『ルーツ』的展開。てことは主人公たちはクンタキンテとその子孫みたいなものです。中盤、そのクンタキンテ(違うって)とその嫁の乳繰り合いに関した下ネタを延々見せて「この映画は観客をどこへ導くのだろうか」と不安にさせるも、観終わって考えてみると一応伏線にはなっていたという困った作品。白眉同人は『KILL BILL Vol.2』に出てくるパイメイ道人のモデルだそうです。しかしタランティーノ、よく観てるなぁ。
『キング・ボクサー大逆転』・・・まだ「カンフー」とか「○○拳」などという表現が定着していない時代の観客には「ボクサー」という表現が近かったのでしょう。今回は本作含め4本のショウ・ブラザーズ映画を観ましたが、続けて観るといくつかの特徴に気が付きます。
・ セットに金をかけている
・ 武芸の素養の無さそうな俳優でも作品によっては主演できる。
・ バイオレンス描写のキツい作品がある。
・ ダークな展開。奇抜なストーリー。唐突なエンディング。
本作もそんな1本。
あの『KILL BILL』『ウィーク・エンダー』でもかかってた「♪ピャーポー・ピャーポー」って音楽、絶対無許可で使ってると思う。
『ブルー・サンダー』・・・LD持ってて20代の頃に6、7回は観てると思います。クライマックスの空中戦は今観ても大迫力。もう今では同じように撮影するのは無理じゃないかと思う位、市街且つ低空でやってます。
『プロジェクトA』・・・ブログで書いてますがレンタルしたらキズがあって見れず、店で研磨して貰ってようやく見ました。劇場公開時・テレビ放映時に観て、LDも所持、そして違うメーカーから発売のDVDも持ってます。そういえば中学生のころに買ったサントラLPも未だに家にあるはず。
何故今回レンタルしたのかといいますと、レンタルしたフォーチューン・スター版にはワタシの持っているDVDには収録されていない未公開フッテージが映像特典に入っていたから。劇場公開直前に放映されたTVのスペシャル版で、食堂のシーンの演出を巡りサモ・ハン・キンポーと(多分)代行監督が激しい口論をしている模様がありました。また、当時の雑誌や特集本には柔道場のような場所で、ユン・ピョウがジャッキー様を投げているカットがありました。どちらも本編にはそんなシーンが無く、ずっと気になってましたがこの映像特典でしっかり観ることが出来ます。また本編では一瞬しか映らない中国式風呂のシーンもちゃんとしたシーンがあり、何故ジャッキー様がパンツを履いたまま風呂に入っていたかも、流れがちゃんとあることが判明。
これはジャッキー様のDVDの中では一番充実した1枚でしょう。
本編も語りたいけど、この場では足りず。別の機会にでも存分に語りたいです。
『バトルクリーク・ブロー』・・・20年以上前に土曜ゴールデン洋画劇場で放映されたのを観て以来。ジャッキー様、お若い!体がもっとも動いた時期ではないでしょうか。エネルギーが有り余ってじっとしてられない様子です。
ハリウッドのスタントマンとの殺陣では、レベル差がありすぎてジャッキー様がやたら動いて、動きの遅い相手に無理矢理合わせるという中々珍しい光景も観れます。
『カプリコン1』・・・TVでクライマックスのみを観たことがあり、ずっと気になってました。
さすがピーター・ハイアムズ監督。移動撮影、とりわけ空中戦の疾走感は最高。CGでごまかさない時代の本物のアクションが堪能できます。
軽口で危険に対してもどこか他人事のようなキャラクター造形、説明し過ぎずにキャラクターの行動によって話を見せていくところは、まさしくハードボイルド。独特の魅力があります。
『シュレック3』・・・このシリーズ、ハズレが無いですね。アニメのお約束を破り、ハイソなイケ好かない人種をおちょくる姿勢は1本筋が通ってます。
葬儀のシーンにポール・マッカートニーの『死ぬのは奴らだ』がかかるセンスは貴重。
しかし今回は『天然コケッコー』を除くと、カンフー、飛行機、ヘリコプターに怪物。このラインナップを観てる人は、きっと精神的に大人になりきれてないんだろうな、と我ながら思いました・・・。
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昨日BSで『脚本家 橋本忍が語る黒澤明~『七人の侍』誕生の軌跡~』を観ました。
この方が脚本を書かれた多くの映画が傑作、しかも前に「大」が付くクラスのものばかり。偉大な脚本家です。
失礼ながら、ご存命とは知りませんでした。もう時代の生き証人と言って良いでしょう。
90歳にしてその豊かな表現力とボキャブラリー、しかも会話でそれがほぼ澱みなく口から流れ出るのにはもう驚嘆。
話の内容も『七人の侍』脚本執筆にまつわる本人が語る裏話とあっては、国でこの映像を永久保存にしなさいといいたくなるほどの貴重っぷり。
ここで違った方向で感じ入っている自分がいました。
90歳でもこれだけ頭脳明晰でいられるということは、これは肉体の年齢ほど頭脳年齢は衰えないという実例である。
老後に希望が持ててきた。
そして終盤、大脚本家が仰られたコメントは非常に心に響くものでした。
「シナリオは下手に楽に書け。自分の中の批判力をゼロにしなさい。自分の中の創造力を、自分で失わせないように。」
リアルに理解できます。
そういえばこのブログも下手に楽に書いてるかも。
やはり何か成し遂げた方の話は、耳を傾けるだけの何かがある。
やはり何か成し遂げた方の話は、耳を傾けるだけの何かがある。
お盆休み中に『ダークナイト』を観に行きました。
本国アメリカでは空前の大ヒットだそうですが、日本人には、バットマンの本国での熱狂的な受け入れ方がイマイチ理解できないかと思います。
かくいうワタシもその1人であります。
バットマンは何十年に渡り続いてきたコミックのヒーローです。
日本でいえばウルトラマンや仮面ライダーでしょう。
しかしウルトラマンや仮面ライダーがバットマンのような受け入れ方をされるには至っていません。
たとえ一昔前と比べ、格段に広い世代の支持を集めるようになった(ワタシたちの世代が大人になったことが大きいでしょう)としても、です。
『ダークナイト』は現時点でアメリカでの興行収入が『スター・ウォーズ』を超え、史上2位となったと聞きます。
この受け入れられ方は、日本ならむしろ宮崎駿監督のアニメに近いのではないでしょうか。
この辺のアメコミヒーローの世間での受け入れられ方を分析して、日本のヒーロー作品製作に生かす人材が出てくることを願います。
個人的には『THE FIRST』『THE NEXT』で大人向けのヒーロー作品製作に挑戦している仮面ライダー・シリーズでそれが成され、突破口を開くことを期待してます。
で、『ダークナイト』ですが。
過去のバットマンの映画化作品、いや全てのヒーロー物の中でも№1の出来ではないかと思います。
深みのあるストーリーの完成度は話の整合性云々のレベルを軽く超えており、人間に潜む暴力性と破壊衝動の正当化、正義感と偽善、崇高な使命感と自己満足、これらの境界を、劇中人物どころか観客の心までジョーカーによって破壊されていきます。9.11のテロ以降の世界を断罪するかのようです。このジョーカーとバットマンの対決は圧倒的な闇の魅力に満ちたジョーカーがバットマンを手のひらで転がすかのように翻弄し、非常にスリリングです。
ジョーカーの用いるレトリックは、黒澤清監督の『CURE』で萩原聖人さん演じる猟奇殺人を起こさせる若者を思い出させました。
このように今作は人間の持つ「業」をヒーロー物のフォーマットできっちり描くという、誰もが考えたであろうも、どのヒーロー物も到達できなかった境地に踏み込んでいます。
で、これだけ容赦の無いストーリー展開(その殆どがジョーカーによって牽引されていくのですが)ながら、正義という大命題に対して自己矛盾に陥った末にバットマンが、そしてゴッサムシティの住人(受刑者含む)が下した結論は、闇の中に一筋の光明を照らすようなもの。
映画が時代というものを映すのなら、闇を闇のままに葬る時代が終わりを告げようとしているかもしれない、とまで深読みしてしまいました。
また『バットマンビギンズ』より前のバットマン作品は舞台となるゴッサムシティが殆どセットだった為、閉塞感のあるスケールに乏しい作品が多かった感じがします。どこか作り物めいた感じが常にしていました。
しかしクリストファー・ノーラン監督になってからのバットマン作品はロケとCGを上手く使い、スケールとリアリティのあるゴッサムシティを作ってます。どこか007作品に似た、古くも現代的にも感じるもので格調すら感じました。
『― ビギンズ』以前のバットマン作品は、バットモービルが後ろから火を噴いて走っていても法定速度内にしか見えなかったですが、今作ではカーチェイスも迫力満点です。
最後、やはりジョーカーを演じたヒース・レジャーには触れずにおれません。
歩き方、唇を舐める音をさせながらの喋り方(それも口の両端が切れているからというリアリティある役作りから来ていることが分かります)、『ブローバック・マウンテン』の時とは全く違った発声。
「憑依した」とでもいうような鬼気迫る演技でした。
つくづくその夭折が惜しい・・・。
しかし今までのヒーロー物でやりそうでやらなかった(やれなかった)ことを、ことごとくやってしまった感のあるこの『ダークナイト』。
これ以上の続編って作れるのだろうか・・・。
しかしいくら観ても、観たい映画が尽きないというのは、常に追い立てられているようで時折困ります。
1回、観たい映画全部観ちゃって観るものない状態になってみたいです。
前回から8月の上旬位までに以下の映画を観ました。
『ドラムライン』
『スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ』
『東京オリンピック』
『デビルズ・リジェクト/マーダー・ライド・ショー2』
『リトル・チルドレン』
『ギャラクシー・クエスト』
『過去のない男』
『しゃべれども しゃべれども』
『街のあかり』
『ドラムライン』・・・観るのは2回目。初回の興奮は蘇りませんでしたが、演奏シーンは相変わらず燃えました。生意気だけどドラムの才能がある若者の成長を、飽きさせずに描いた快作だと思います。
『スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ』・・・初回の感想は既に書きましたが、2回目の今回は筋が分かっている分、遊び心や演出の妙を楽しめて初回よりも面白く見ました。こうなってくると以前感じたバランスの悪さが気にならなくなるから不思議です。
『東京オリンピック』・・・最初の20分は圧巻。撮影も編集も素晴らしい。延々と続く競技シーンは正直に申しますと集中力が続きません。ただ閉会式のシーンは当時の日本人の心境が伺えて、ちょっと涙目になっちゃいました。そんなこんなを含めて、オリンピックの年に本作を観れて良かったです。
『デビルズ・リジェクト/マーダー・ライド・ショー2』・・・残酷描写ゆえに一般受けはしないかもしれませんが、アメリカン・ニュー・シネマや『悪魔のいけにえ』のセンスあるオマージュを全編盛り込み、それでいて猿真似レベルではなく「個性」にまで昇華させた手腕は非凡の才。本職がミュージシャンで監督2作目とはとても思えないロブ・ゾンビ監督。凄い。
『リトル・チルドレン』・・・「『アメリカン・ビューティー』みたいにセンセーショナルな要素を盛り込んで「現代人の病める現状」みたいなテーマを建前に、ラストは今風に『クラッシュ』のようにしておけばアカデミー賞候補は確実。そんなストーリーをケレン味ある演出で描けば観客も飽きないからヒットもするし、もう完璧。」みたいなヤラしい作り手の意図が見え隠れして好きになれません。でも最後まで飽きずには観れます。
『ギャラクシー・クエスト』・・・観るのは2回目です。初見で気に入りDVD購入の候補にずっと挙がっていた作品ですが今回BS放送で観ました。2回目も面白かった!2回目も泣いた!『スター・トレック』好きな方なら尚更号泣でしょう。
スター・トレックは映画版とスター・トレック狂の人々のドキュメンタリー映画『トレッキーズ』(アメリカにおけるスター・トレック文化を知るには格好のテキストです)を観た位ですが、笑えるオマージュが満載なのが分かります。
「一生懸命にやったことは、いつか報われる」「人は何度でもやりなおせる」「オタクは宇宙を救う」という前向きなメッセージはスター・トレックを良く知らない観客にも届くはず。
『しゃべれども しゃべれども』・・・今年観た映画のベスト3には入りそうな作品です。世代も性別も違う、人生頭打ちの4人が出遭うことによって、それぞれが前へ進んでいく様を描いた傑作。
落語界、今も残る下町の風景、不器用な男女の心の機微。全てが消費される為だけに制作される最近の日本映画にない品格を感じます。語るに必要な要素をちゃんと入れつつ冗漫に流れない脚本、一見地味ながら飽きないように工夫された演出・編集。そして特筆すべきは主人公の二つ目の落語家を演じた国分太一さん。どうしてあんなに落語が上手く出来るのだろうか?あんなにTVで売れっ子なのに、いつ練習したのだろうか。香里奈さんも感情表現の下手な、それでいて記憶力抜群の女性を好演です。
流行り廃りの中で埋もれさせてはいけない作品だと強く主張しておきます。
『過去のない男』『街のあかり』・・・アキ・カウリスマキ監督の作品は間の抜けたおかしさがあって、現実の厳しさもあるのだけれど、救いがあって「人生って悪くないな」と思えるラストが特徴。この2作もそんな感じ。ここまで来ると「お家芸」です。
今回は省略がありませんでした。何かしら語りたくなる作品ばかりで、そういう意味では全て「当たり」でした。
先週末、映画『カンフー・パンダ』を観てきました。
もう「カンフー」と聞いたら観ないわけにはイカンでしょう。
この時期、ジャッキー様とジェット・リーの初共演作『ドラゴン・キングダム』も上映していますが、哀しいかな欧米の監督によるジャッキー作品は、まず満足のいく仕上がりにはなったことがありません。
片や『カンフー・パンダ』は評判もよさそうで、オリジナルのサルの声はこちらもジャッキー様とあれば、アメリカ人が真っ向から「カンフー」をCGアニメという動きの制約のないフォーマットでどう描くかお手並み拝見、ということで『カンフー・パンダ』の方を観ることにしたのでした。もちろん字幕版で。
友人誘って、土曜の17:30の回に行きましたが、劇場内ワタシらだけ!!
家族連れは夕飯時だからなのか・・・こんなの初めて貸切状態ブルジョワ~ン。
劇場でCGアニメを観るのは初めてでしたが、細部まで描きこんだCG・芸の細かい描写に軽く驚きを覚えました。
観賞後の感想は、一般的には 「笑えて、軽く泣けて、カンフー・ドタバタ・ギャグがあって、広い世代が満足できる楽しい作品」です。
が、そこは『あさぶろ』。もう少しマニアックに感想を書きますと・・・。
これはジャッキー様の『拳』シリーズの精神を受け継ぐ、香港発アメリカ経由のカンフー映画最新作です!
カンフー映画のお約束、これがあると燃える展開である
・ ダメな主人公がユニークな修行を経て強くなる。
・ 師匠のピンチに強くなった主人公が助けに来る。
・ 圧倒的に強い残忍な敵に、笑いを忘れない主人公の戦闘スタイルが拮抗。
等、ちゃんと盛り込み尚且つ「前向きに努力すれば、なりたいものになれる」というメッセージを盛り込みエバーグリーンな骨組みが完成。
それに加えて中盤、ある爆発シーンの演出(アングルを変えて3回見せる)が香港映画(とりわけジャッキー作品)とまんま同じで、この時点でワタシのハートを鷲掴み。
製作者は実に良く香港映画を勉強しているのが伺え、武闘シーンはCGゆえ、動きに制約がないため人間では出来ない動き、しかしアジアのアクション映画の動作より1、2レベル上を行く程度のさじ加減でアニメ的に過ぎないように配慮されたもので目の肥えたマニアも納得の出来。
ヒネた見方をすれば、「主人公は例え愚鈍なパンダであろうとも、選ばれた継承者だからハッピーエンドを迎えられた。これは『マトリックス』と同じ選民思想で、一般人は一生報われない」という悲観的なテーマにも取れますが、ワタシはそうは思いません。
継承者に選ばれてしまった主人公が、それにふさわしい自分になろうと努力して、自分らしさを失わずに継承者たる器になっていく、希望の物語だと思います。
CG版『キャプテン』なのです。
パンダだってカンフー・マスターになって夢を叶えた。
それなら人間の自分だって。
そう受け取るのが、素直で健全です。
観賞後、ワタシは小学生の頃にテレビで観た『クレージーモンキー笑拳』の感動を思い出していました。
「そしたらさ、ドラゴン(主人公)がさ、あんなに強い敵に向かって笑いながら手を『来い、来い』ってやるんだよ!!」
と、興奮して当時向かいに住んでいたおばちゃんに話していた自分が鮮やかに蘇りました。
「強い敵にも自分らしさとユーモアを忘れずに立ち向かう」というジャッキー様のマインドは今も確かに継承され続けているのだと思い至り、涙が滲みましたよ。
まさかCGのパンダに初期衝動を再確認させられるとは思わなんだ。
『カンフー・パンダ』、ワタシは支持します。
あ、でも肝心のジャッキー様のサルは「イエス」「アーッ!」とかの短い台詞しかありませんでした。
ジャッキー様じゃなくても分からないよ。そこは減点。