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2025/03/19 18:29 |
断罪ピエロと闇の騎士/『ダークナイト』
お盆休み中に『ダークナイト』を観に行きました。
本国アメリカでは空前の大ヒットだそうですが、日本人には、バットマンの本国での熱狂的な受け入れ方がイマイチ理解できないかと思います。
かくいうワタシもその1人であります。
 
バットマンは何十年に渡り続いてきたコミックのヒーローです。
日本でいえばウルトラマンや仮面ライダーでしょう。
しかしウルトラマンや仮面ライダーがバットマンのような受け入れ方をされるには至っていません。
たとえ一昔前と比べ、格段に広い世代の支持を集めるようになった(ワタシたちの世代が大人になったことが大きいでしょう)としても、です。
 
『ダークナイト』は現時点でアメリカでの興行収入が『スター・ウォーズ』を超え、史上2位となったと聞きます。
この受け入れられ方は、日本ならむしろ宮崎駿監督のアニメに近いのではないでしょうか。
この辺のアメコミヒーローの世間での受け入れられ方を分析して、日本のヒーロー作品製作に生かす人材が出てくることを願います。
個人的には『THE FIRST』『THE NEXT』で大人向けのヒーロー作品製作に挑戦している仮面ライダー・シリーズでそれが成され、突破口を開くことを期待してます。
 
で、『ダークナイト』ですが。
過去のバットマンの映画化作品、いや全てのヒーロー物の中でも№1の出来ではないかと思います。
 
深みのあるストーリーの完成度は話の整合性云々のレベルを軽く超えており、人間に潜む暴力性と破壊衝動の正当化、正義感と偽善、崇高な使命感と自己満足、これらの境界を、劇中人物どころか観客の心までジョーカーによって破壊されていきます。9.11のテロ以降の世界を断罪するかのようです。このジョーカーとバットマンの対決は圧倒的な闇の魅力に満ちたジョーカーがバットマンを手のひらで転がすかのように翻弄し、非常にスリリングです。
ジョーカーの用いるレトリックは、黒澤清監督の『CURE』で萩原聖人さん演じる猟奇殺人を起こさせる若者を思い出させました。
このように今作は人間の持つ「業」をヒーロー物のフォーマットできっちり描くという、誰もが考えたであろうも、どのヒーロー物も到達できなかった境地に踏み込んでいます。
 
で、これだけ容赦の無いストーリー展開(その殆どがジョーカーによって牽引されていくのですが)ながら、正義という大命題に対して自己矛盾に陥った末にバットマンが、そしてゴッサムシティの住人(受刑者含む)が下した結論は、闇の中に一筋の光明を照らすようなもの。
映画が時代というものを映すのなら、闇を闇のままに葬る時代が終わりを告げようとしているかもしれない、とまで深読みしてしまいました。
 
また『バットマンビギンズ』より前のバットマン作品は舞台となるゴッサムシティが殆どセットだった為、閉塞感のあるスケールに乏しい作品が多かった感じがします。どこか作り物めいた感じが常にしていました。
しかしクリストファー・ノーラン監督になってからのバットマン作品はロケとCGを上手く使い、スケールとリアリティのあるゴッサムシティを作ってます。どこか007作品に似た、古くも現代的にも感じるもので格調すら感じました。
 
『― ビギンズ』以前のバットマン作品は、バットモービルが後ろから火を噴いて走っていても法定速度内にしか見えなかったですが、今作ではカーチェイスも迫力満点です。
 
最後、やはりジョーカーを演じたヒース・レジャーには触れずにおれません。
歩き方、唇を舐める音をさせながらの喋り方(それも口の両端が切れているからというリアリティある役作りから来ていることが分かります)、『ブローバック・マウンテン』の時とは全く違った発声。
「憑依した」とでもいうような鬼気迫る演技でした。
つくづくその夭折が惜しい・・・。
 
しかし今までのヒーロー物でやりそうでやらなかった(やれなかった)ことを、ことごとくやってしまった感のあるこの『ダークナイト』。
これ以上の続編って作れるのだろうか・・・。

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2008/08/21 22:13 | Comments(0) | TrackBack() | 映画・ドラマ

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