五箇山を後にして、お次は城端(じょうはな)に向かいました。
善徳寺周辺を軽く散策(デジカメを撮ったのですが、ガイドブックと全く同じアングルになったのでボツにしました)。
小奇麗な街だなぁというのがその印象。
ゆっくり時間を過ごしたいのも やまやまでしたが、本日中に行きたい場所があったので移動することにしました。
向かった先は福光。「棟方志功記念館 愛染苑」に行きたかったのです。
福光は板画家の棟方志功が戦時中疎開した場所で、7年近くの福光時代に、多くの傑作を生み出しました。今回の旅行まで、そんなことは全く知らなかったのですが、今ではこんなに物知りです。
棟方志功は「漫画チックな女の版画の人」位にしか認識が無かったのですが、今回の旅を企画した際、この愛染苑のことが少し気にかかりました。
その何日か後、ワタシが愛読するある方のブログに棟方志功の事が書かれていました。
以前にも書きましたが、ワタシは経験上から「2度自分に同じことが起こったら、それは偶然ではなく何か意味のあることだ」というルールを持っています。
棟方志功のゆかりの地に旅行する直前に、志功の記事を読むというのは何か意味があるに違いない、と「行けたら行く」位の気持だったのを改め、行程に組み込めないか考え始めました。
当初は福光へ行くルートを設定していなかったのですが、ヨメが城端を見たいというのでこれまた直前にコース変更。福光が行程に組み込まれることになりました。
こうした展開からも何かあるのではと、ちょっとした期待もして向かったのでした。
そして愛染苑。
隣接する青花堂、向かいの志功の住まいだった鯉雨画斎(りうがさい)と併せて入館料300円。安すぎます。
愛染苑をみると、今見てもポップなカレンダーの版画等、ワタシの知らなかった志功の作品があります。が、正直申し上げまして、あまり心が動かず「へぇー」といった感じでした。
果たして、ここに来たことに意味があったのか・・・。
隣の青花堂へといってみました。
青花堂は志功の最大の協力者の石崎俊彦の旧宅で、石崎が収集した民芸品が置かれてます。
この石崎俊彦という方の解説を読んでいて、ワタシの中で盛り上がってくるものがありました。
田舎で志功の才能を見抜いていた石崎。後に志功の最大の理解者&協力者になっていった男の物語は、志功以上に圧倒的に共感させられるものがありました。
・・・あ、恐れ多くも、もし志功がM氏なら、ワタシは・・・。
M氏と自分の関係を肯定されている気がしました。
これからも自分の目で、自分がいいと思ったものを賛美してリスペクトしていけばいいのでしょう。
来た意味が分かった途端に、志功の作品も好きになりました。
これからも自分の目で、自分がいいと思ったものを賛美してリスペクトしていけばいいのでしょう。
来た意味が分かった途端に、志功の作品も好きになりました。
続いて行った鯉雨画斎には、案内をしてくださる高齢の職員がいて、富山弁交じりで熱く志功の逸話を語ります。知らず知らずの内に志功の時代へと引き込まれて、戦中戦後間もない頃でも尽きない創作意欲で活動していた志功とM氏が重なります。
職員の方も熱が入ったのか「まだ時間ある?よければまだ話すよ」と、結局閉館時まで逸話をしゃべりまくり。ワタシはここに来たことを心の底から喜んでました。この度一番の興奮&感動。
鯉雨画斎を出ると辺りは薄暗くなっており、向かいの愛染苑も事務所以外は暗くなっていました。けれどワタシは愛染苑へと足を向けました。
帰り支度を始めている職員さんに、入り口で販売していた棟方志功の作品集を売ってもらえないか頼む為です。
基本シャイなワタシがここまでやるのは珍しいのです。それだけ興奮していました。
めでたく作品集も買うことが出来て、その後の車中はテンション高くしゃべり倒したのでした。
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