(上京したワタシは、かつて住んでいたアパートを見に行って・・・)
・・・あ、この家、新しく建ったやつだ。ふーん、この辺も変わったな、などと感慨深く道中見渡しながら歩いていき、いよいよ思い出のアパートへ。この小路を右に曲がって奥・・・
・・・あ、この家、新しく建ったやつだ。ふーん、この辺も変わったな、などと感慨深く道中見渡しながら歩いていき、いよいよ思い出のアパートへ。この小路を右に曲がって奥・・・
・・・には、全く見覚えのない新しいマンションが。
当時は築三十数年のボロアパートでしたが、目の前にあるのは小奇麗な3階建てのマンション。
当時は力業で引っ張れば、ドアが引っこ抜けるような木製の玄関扉でしたが、この建物は入口に暗証番号を入れなければエントランスへの入口が開かないようになってますので、玄関にすらたどり着けません。
あのボロアパートが、今やオートロックのマンションですか・・・。
隣との境界を示す木塀しか、名残が見つかりません。
そりゃそうです。当時そこにあったアパートを引っ越すことになったのは、消防署から危険家屋の指定を受けて、全面改修をすることになったからでした。あれから10年以上。取り壊されたのは当然でしょうか。
半ば放心状態で、最後に住んだアパートを見に行きました。
期間は1年半位でしたが、ワタシが住んだ中で最も住み心地が良かった物件でもあります。でも間取り等、現在では考えられない物件かもしれません。今時、風呂なしのアパートに住んでる方ってどの位いらっしゃるのでしょうか。当時でもワタシのような暮らしぶりは、すでに完全なマイノリティでしたし。
そのアパートは先ほどの危険家屋のアパートの目と鼻の先にありました。
そこは隣が大家のおばあちゃんが一人お住まいになっていて、「おかず作ったから取りに来なさい」と電話を貰っては鍋を持っていった、そんな思い出のあるアパート。こちらは大家さんもいたわけだし、多分、今も残ってるはず・・・。
見事にありませんでした。
隣接していた大家さん宅も含めて。
ワタシが住んでいたアパートと大家さん宅だった土地には、見上げるほどのマンションがそびえ立っていました。数えてみたら11階建て。変わり果てたものです・・・。
当時、大家さんが話していたことを思い出すと、お元気ならば土地を売るようなことはされないでしょう。
ということは、大家さんは当時で結構なご高齢でしたし、一人暮らしは無理な状態になられたか、もしくは他界されてしまったのか・・・。
ワタシがUターンするに当たり部屋を引き払うことになったときのことです。
部屋を掃除し、大家さんに引渡し確認で室内を見ていただいた際、綺麗に使ってくれたとお褒めいただいた後、
「ホラ、あたしの目に間違いはなかった。あんたみたいな いい子、手放したくないのよ。」
とまで言っていただいたことが蘇り、目の前のマンションをしばらく苦々しく見つめるばかりでした。
久しぶりの上京で、若干テンション高めだった精神状態は急降下。
その後、当時の面影を探しながら近くの商店街を歩ましたが、よく通った肉屋さん(表でおばあちゃんが焼く 焼き鳥が美味くて、買いに行くとよく飴をもらってました)は、おばあちゃんの姿はなく、当時のおばさんはすっかり老けて、おばさんが おばあちゃんになってましたし、よく雑誌を買った本屋さんは店を閉め、レンタルビデオ屋は携帯電話のショップに変わってました。
もはや思い描いていた風景は、思い描くしかなくなっていたことを確認しました。
こういうの、映画とか小説でよく見かけるけど、経験するだけトシを取ったってわけだ・・・。
とはいうものの、馴染み深い銭湯、足繁く通ったハンバーグ屋は健在だったし、美味しい味噌ラーメン屋(次回は食べるぞ)は改装して「今年で20周年」のチラシが貼ってあったりで、テンション若干復活。
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