前に書きました観光スポットに於いてダウナー・ミッキーでひとしきり笑わせてもらったので、更なるエゴ・アートを探すことにしました。
笑える落書き・・・いやさエゴ・アートで埋め尽くされた観光スポットは、もはやエゴ・アート自体が呼び物になっているのではと思わせる位で、数々のエゴ・アーティストたちの力作が所狭しと公共物に書き込まれていました。・・・いいのかそれで?
なかでも、最も目を引いたのは「ガチツバ(命名:ワタシ)」でした。
公共物に書かれた落書きを見ていくと、あることに気付きました。
多分恋人同士の名前であろう「カナ ツバサ」と書かれた落書きがいたるところにあるのです。
何故にそこまで自分たちの名を記さなくてはならないのか。浮かれ心から情熱を経由して、非常識にまで到達してしまったかのようです。
こうなってくると「カナとツバサ」全仕事を網羅してみたくなりました。
ここにもあそこにも、手すりにも鉄柱にも、ひどいことにこの観光スポットの由来が書かれた立て看板やそこから展望した際に見える山などの名称を注記した絵にまでカナとツバサ参上!とばかりに書き散らかしてあります。もはや参上どころか惨状です。
ところが「カナ ツバサ」の文字を繰り返し観ている内に、何か恋愛ドラマの題名みたいに思えてきました。
なんかあるじゃないですか、「ヤスコとケンジ」とか「ケイコとマナブ」とか。ケイコとマナブは違うか。
例えばこんな話。
吉祥寺カナ(18)はある日、転校生の鳩山ツバサ(18、愛称:ぽっぽ)が、ダンボールに捨てられていた犬のおもちゃに餌をやろうとしているバカさ加減を、ひたむきさと取り違える世間知らず。死語とは分かっていても思わず胸キュン。構わず告白以上、激白未満。
鳩でツバサでぽっぽだけに、思わず舞い上がるツバサ。
けれどカナは不治の病に冒されていることが分かり、ツバサ、韓流ドラマっぽく大号泣。しかしカナは.単なる仮病と分かりツバサ、泣き損。カナの「いつも私が主人公」的虚言癖は死んでも治りそうになかった。そういう意味では不治の病だった。
あるときツバサは盗んだバイクで走りだそうぜ18の夜だから、とカナと2人でランナウェイ。
「もう大人たちは信じられない」
そういうカナとツバサの青い衝動という名を借りた身勝手さが、大人たちには逆に信じられなかった。
そしてバイク走らせ着いたところは、とある観光スポット。
カナ「ここで名前たくさん書くと幸せになるって聞いたことあるよ」
どこで聞いたよ、そんなこと。カナ、ここでも虚言癖炸裂。
ツバサ、そんなカナに積極的に騙されて嬉々として油性マジックで「カナ ツバサ」と公共物に書きまくり。
2人の愛は止まらない。
誰か2人を止めてくれ。
どうよ、こんなの!?
なかなかいいじゃない?とか思っていると、驚くべきものが目に入りました。
「ガチ ツバサ」
落書きの「カナ ツバサ」に更に落書きして「カナ」が「ガチ」になってます。これぞ落書きからアートになった瞬間です。しばらく笑わせてもらいました。
これらのエゴ・アートを『ガチツバ』と名付けました。『ハチクロ』みたいだったので。
ただ一つ注文をつけるなら「ツバサ」は「ツボサ」にして欲しかった。ってワタシはやらないけど。
エゴ・アート、深いです。
けど良識あるならやらないで下さい。
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「とにかくまずは皆さんと向かってみたいと思います。」
昨日、Isara Fansiteから始まった夢に対してこう書きました。
本日マルス先輩よりメールがあり、数年来準備していた長年の夢についてチャンスがあり、明日いよいよ具体的な第一歩を踏み出されるとのことでした。
分野は違いこそすれ、やはり同じ方向へ向かっている方とは同じ時期に同じようなことが起きている、またもやシンクロニシティ!と驚き&喜びました。
なんか「シンクロニシティ」というのが本ブログのテーマではないかと最近思ってます。
ブログのような、日々の事象をリアルタイムに近い形で語っていく媒体を通してシンクロ体験を綴っていくと、日頃からお読みの方も「こんなこと実際にあるんだな」とお思いになり、結果その方にもシンクロニシティが起こる。そのことをメールくださってワタシがまた「シンクロだ!」と驚いたことをブログに書き、お読みの方がまた「ふーん、ホントにあるんだ」と思ってその方にもシンクロニシティが起こってそのことをメールくださってワタシが驚いてブログに書いて・・・って、これはシンクロニシティのネズミ講か!?
うーむ、このブログの使命は「一億総シンクロ化」なのだろうか。
私信:○○さん、魂メールありがとうございました!
金曜日、お二人の方からメールをいただきました。
Dr.光明寺さんはレポートで書いた通りコマンダー・ネイオの画像を送ってくださり、もうお一人は今回いさレポートで「Isara Fansite史上、最大の事件」と書いた件の中心人物といえるお方から。
そして本日も上記のお二人からメールをいただきました。
お2人とも、ありがとうございます!
やはりIsara Fansiteや本ブログは、皆さんの善意に支えられているところ大だなぁ、と改めて感じました。
さて、今週の いさらレポートでかなり思わせぶりなことを書きましたが、まだ公表には程遠く、推察いただくしかないのですが、どれ位のことか目安となることを書きますと・・・
・ それまでは『プロジェクトG』が、いさら最大のプロジェクト。しかし今回の話はそれを遥かに凌ぐスケールになる可能性を孕んでいる。
・ イベントに出展という話ではない。
と、書いてもさっぱり分からないと思いますが、とにかく凄いことになりそうです。
何度かチラッチラッっと書いてますが、ワタシなりのIsara Fansiteと本ブログの目標なり、夢なりがありまして、それらは開設当初から想い描いていたものもあれば、運営していく内に芽生えたものもあります。
そしてそれは、いきなり書いても「こいつは何を夢みたいなこと書いてるんだ?」と笑われるのが関の山なので、具体的には一切書きませんでした。
しかし!
よく読んで応援してくださる方はさすがに鋭く、書いてないのにそのものズバリの内容をメール下さったり、夢を実現するための何かをお持ちの方がメールを下さったりして、着実に実現へと近づいています。
元々「いさら(M氏)の役に立ちたい」という目的で始めたIsara Fansiteが、いさらにとって大きな役割を今回の件で担おうとしてます。考えてみれば凄いことです。
しかしながら、到達点は近いようで遠く、下手をすると天竺並みに遠いかもしれません。が、どれだけ遠いかは行ってみないと分からないものです。
とにかくまずは皆さんと向かってみたいと思います。
本日は『最近観た映画』についてです。
『隠し砦の三悪人』(オリジナル版)
『ロ-グ・アサシン』
『帝銀事件 死刑囚』
『アポカリプト』
『詩人の大冒険』
『仮面ライダー THE NEXT』
『バタフライ・エフェクト2』
『エボリューション』
『主人公は僕だった』
『ボーン・アルティメイタム』
『ボラット』
『悪い奴ほどよく眠る』
『隠し砦の三悪人』・・・初めて観たのは10年以上前だったと思います。以前観た時以上に面白く感じました。ダイナミックな構図、役者の生き生きとした好演、ハラドキの展開、ワタシが申し上げるまでも無くどれも素晴らしいです。オープニングをはじめ、そこ、ここに後年『スター・ウォーズ』がパクっ・・・いやオマージュを捧げたシーンが。火祭りのシーンのスケールのでかさは今の日本映画では考えられません。
『帝銀事件 死刑囚』・・・ワタシが生まれる前の事件ですので詳細は本作を観るまで知らなかったのですが、実際にこんな陰惨な事件があったことは衝撃でした。演出は確かで、観る者をグイグイ引っ張っていく力は凄いです。が、新聞記者がメインの、事件の真相を追究する前半から、終盤は限りなく冤罪に近いと思われる死刑囚がメインに変わってしまい、焦点がボケた感じもしました。各パートとも秀でているだけに惜しい。
『アポカリプト』・・・考証的に正しいのかどうかはワタシ的にはどうでもよい事で、この残虐な世界観を映像化したことが凄いです。表現的に間違っているかもしれませんが、本作は「高度な文明が他の文明を淘汰する」という世界の一部で起きた出来事で、俯瞰するとそういったことが連綿と繰り返され、現在もその途上にあることを示唆しているようにも取れます。考えすぎですか?
『仮面ライダー THE NEXT』・・・『でがらし魂4』の準備で再観。今回はディレクターズ・バージョンを鑑賞。
『エボリューション』・・・沢山の個性的なデザインのクリーチャーが登場。それが楽しいと観客が感じることを拒否するかのようにグロテスクなものばかり。今やビジネスモデルである「キャラクターの商品化」を潔く諦めたように感じられるところが素晴らしい。『X-ファイル』のモルダー捜査官がまさかのケツ出し。『ハンニバル』のクラリス捜査官がまさかのバカ演技。今となってはお宝映画と化してます。
『主人公は僕だった』・・・ウィル・フェレルの破壊的な演技が大好きですが、本作のいつもより抑え目の演技も悪くないです。しかしこの物語の前半のアイデア、10年以上前からワタシが人に話してたネタとほぼ同じ。先を越されました。
ここ数年、「作り手の登場人物に対しての責任」に敏感になりました。
物語を盛り上げる為・作劇上の配置として安易に「その登場人物が死ぬこと」に対して、嫌悪に近い感情を覚えるようになりました。
特に難病ものには生理的嫌悪に近い感情が芽生えてしまいます。
「登場人物というのは作者が生を与えた一つの人格である。その登場人物の人生は作者が決めるのだけれど、架空の人生であろうと作者はその人生に責任があるのではないか」と思うようになりました。アクション映画で出てきた直後に主人公にやられるザコキャラに対しては、そういう風に思わないのですが。何なんでしょうか?
本作はそんな最近のワタシの心情にもしっくり来る展開をみせるもんだから「もしやしてワタシの人生も誰か作者がいるのかな?」と思ったとか思わなかったとか正直思わなかったけど。
『ボラット/栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』・・・主役の俳優は相当頭が切れます。特に会話のシーンでのギャグのセンスは才気走っているものがあります。後進国出身のレポーターを装って「欧米的常識・良識」を笑い飛ばす、といった構図ですが、大笑いしたシーンが何箇所もあるも、善意で取材をOKしてくれたであろう人たちにさえ下品&失礼なことをして怒らせて楽しむ(ヤラせかもしれませんが)、という笑いの毒がキツ過ぎる箇所が多く、観てられなかったのも正直なところ。
その他は省略であります。
近視眼的にはツイてないことでも、大局的にはツイている、または最初はツイてないように思えることでも結果的にはツイているということがあります。
最近気付いたのですが、こういったツイてないと感じているときに「まてよ。これは大局的に見るとツイてることなのかもしれないぞ。」とまで考えが及ぶと、多少精神的に良いようです。多少、ですけど。「この状態からどうやって事態が収拾するのだろうか」と、期待しながら、または事の成り行きを見極めるべく落ち着いて対処するようになります。まあ、いつもそう出来るとは言いませんが。決して言いませんが。
先日こんなことがありました。
仕事で、本社から来る役員を駅まで迎えに行ってくれ、と上司から電話が入りました。重要な打合せと来客対応のために役員が本社からこちらへ来ることになっていました。
職場からその駅までは車で小1時間掛かります。電話が入ったのは電車の到着の1時間ちょっと前でした。時間的にギリギリのタイミングです。時にはこんなこともあります。まま、あります。いや、しょっちゅうあります。
取りあえず急いで支度をして職場を出たのですが、そんなときに限って前の車がノロノロと走り、ようやくその車が曲がっていなくなったと思いきや、信号待ちの間に大型車が曲がってきてワタシの前をゆっくり走ったり、あちこちで道路工事のため片側交互通行をしていたりと、役員の到着までにはどうやっても間に合いそうにありません。
「くっそー、ツイてないよ。これじゃ間に合わないよ!」
イライラと不安は募る一方です。途中で車を止め、上司に間に合わない旨、連絡を入れることも考えましたが、うまくいけば僅かな遅れで駅に着きそうな微妙な状態。連絡する為ひとたび車を停めれば、再び流れに乗るには時間の掛かりそうな交通量です。結局、この渋滞の中一刻も早く目的地に着くことを優先して走り続けました。果たしてその判断が正しいかどうか、その心配も増えてしまいました。
場合によっては全てがワタシの読み違いで、時間には大幅に遅れる、遅れる旨の連絡もしなかった、あまりに来ないので役員はタクシーに乗って行っちゃった、などという目も当てられない事態にもなりかねません。
さすがのワタシもマイっちゃいましたよ。いや別に「さすが」でもないから、ホントはしょっちゅうマイってるんですけど。マイってる合間にマイってないくらいで、って何言ってるんだか分からない位、マイってました。
しかしその時期よく「収まるところに収まっていく」経験をしていたので、もしかして今回も何とかなるんじゃないか、という思いがふと頭をよぎりました。しかしこれがどう丸く収まるのだろうか。
やきもきしながら駅に着いたのは、電車が着いてから10分近く後。遅れる旨の連絡は、遂にしないままになってしまいました。
それでも役員が駅にいれば、問題はありません。謝って事情を話せば何とかなります。
そころが駅前に役員はいない。慌てて車から出て、改札口まで走りましたが役員はいません。待合室にも、トイレにも。
焦りながら、「仕方ない。会社へ電話して状況を話そう。」と駅前でケータイで会社へコールしている自分の姿は、『24』のジャック・バウアー捜査官のイメージでしたが、バウアー捜査官は「バウアーだ。容疑者がテロリストたちと逃げた!衛星でフォローしてくれ!早くしろ!」なんて言うでしょうが、ワタシの場合は 「遅れて着いたら役員がいません」というボンクラ社員の典型のような報告電話です。否定はしません。
ところがワタシのケータイが会社へ繋がり、コール音が鳴った直後、
「おーい!」
声のした方を振り向くと、駅前の立ち食い蕎麦屋から役員が笑顔で手を挙げながら近づいてくるではありませんか!?
急いでケータイを切り、遅れて申し訳ありません、と謝ろうと口を開いた瞬間、役員が
「いやーごめん、ごめん。」
え?何でそちらが謝るんですか!?
話を聞いてみると、役員を迎えに行くようワタシに指示した上司が、指示した時間から考えて電車の到着時間に間に合わないかもしれないと予想して、あらかじめ役員にワタシが迎えに行くこと、多少遅れるかもしれないことを役員のケータイにメールしていたそうです。
そしてその役員は前日の仕事の都合上、前夜から何も食べていなかったので、ワタシが遅れてくるのを幸いと駅前の立ち食い蕎麦屋で朝食を食べていた、とのことでした。自分が待ち合わせ場所から勝手に離れていたので、ワタシが探し回ったことに恐縮していたのでした。
「おかげで蕎麦食って、一息つけたから助かったよ。」
え?遅れてきて御礼まで言われましたよ。
終わってみれば、全ては収まるところに収まっていました。
渋滞に巻き込まれて遅れたために、役員は朝食を食べる時間が出来た。
遅れそうだと連絡を入れても、入れなくても同じ結果であった。
これを「気を揉んだだけ損した。ツイてない。」と取るか「全てキレイに丸く収まってツイていた。」とるか。
ワタシはツイていた、と取ります。
皆さんはどうでしょう!?