よくHP・ブログをお読みの皆さんからいただくメールが、打ち合わせたかのように似通った内容だったり、M氏にしか話していない展望やフレーズが書かれていたりと、いわゆる「シンクロニシティ」というものがここ1年位、ワタシの身近で非常に多くなっています。
先日もちょこっと「シンクロニシティかも」などと書きましたが、本日はそのシンクロニシティについて思いつくままに書いていきます。
少し前に本屋で「シンクロニシティを起こして幸せになろう」的なタイトルの本を見つけ、立ち読みしてみました(買わないのはお金が無いからではありません。・・・その時たまたま持ち合わせがなかったのです!)。
そこにはシンクロニシティには大・中・小のレベルがあり、まず小レベルを数多く起こしていくと中になり、やがて大になる、というようなことが書かれていました。
ワタシも「電話をかけようとした相手からかかってくる」位の小レベルのシンクロニシティは、しょっちゅうになりました。友人と飯を食おうとしたら、打ち合わせてもないのに行きたい店が一緒で即、その店に決定、とか。
以前ブログでも書きましたが、思い立って善光寺へ行ったら40年振りの山門の内覧をしていて、並んでみるとその日の最後の内覧の班になり、前の班の方たちよりじっくり内覧することが出来たり。
ついこの前も仕事帰りに無性にカレーが食べたくなり「今日夕飯カレーだったらいいのにな。でもそんな出来過ぎた話はないだろうな。」と思いながら帰宅すると、我が家の夕飯がカレーで大層驚きました。
もうじき中レベルのシンクロニシティに移行でしょうか!?
このような不思議現象が知識としてのレベルではなく、体感によって信じるようになったのは時期的にM氏と再会した頃である数年前からで、HP・ブログを始めてから、より加速した感があります。
話は変わりますが以前、お読みの方からのメールの内容が似ている点についてM氏と話している際、彼が「思念は飛ぶからね」とコメントをしました。
ブログでは「思念(思考)の共有化」とかの表現をしてますが、先日ある本で「電気的宇宙論」というアカデミックな世界からは認められていない新仮説を知りました。人によっては「トンでも」の領域かもしれませんが。
正直、ワタシの脳みそで詳細は理解不能でしたが、ワタシなりの解釈で簡潔に書くなら「宇宙は電気で構成されている」ということらしいです(違ってたらごめんなさい)。
宇宙が電気的ということは生命も電気的らしいです。さすれば宇宙を構成する全てが電気で繋がることが出来ると仮定できます。とすれば瞬時に意識を他者に飛ばすようなコミュニケーション方法、精神世界の領域でよくいう「地球と一体になる」とか「宇宙から信号を受け取る」とかいう話も理屈は通ります。
これって「思念の共有化」と同じことじゃありません!?寝転がって読んでて、思わず起きあがっちゃいました。まあ、ホントかどうかは判断できませんが。
ただ実体験からの感触では、
・ 思念は飛ぶようだ(以心伝心というのは実際にあるようだ)。
・ シンクロニシティというのはホントに起こる。
・ 上記のことを深く(「知識として分かっている」というレベルで無く「当たり前に起こる普通のこと」位に)納得すると、より上記のことが起こりやすくなる。
といった感じがします。
実際、10年前のワタシでは考えられなかったような面白い出来事が起こるようになりました。
こうやって書いてみると、ワタシにとっての「シンクロニシティ」とは「面白い偶然」のことみたいです。
本ブログが、そんな面白い偶然のドキュメンタリーになれば、それこそお読みの方の日常にも面白い偶然が起こるのではないか。究極的にはネットなんぞ要らなくなって、思念を飛ばしてブログを更新すれば良いのではないか。それはもはやブログでは無いのではないか。ただの中年の思考の垂れ流しなのではないか。でもすでに今、妄想を垂れ流し中なのではないか。そんな思いすらしてきます。
なんかグダグダの結びになってしまいました。
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