先週の土曜日、映画『バンテージ・ポイント』を観にいきました。
どうしても『ビンテージ・ポイント』と言ってしまうのは、『ジュラシック・パーク』を『ジェラシック・パーク』と言ってしまうのと同じです。
で、ビン・・・いや『バンテージ・ポイント』。
先日『アメリカン・ギャングスター』で寝てしまった記憶も新しいので、映画を最後まで観れない体になってしまったんじゃないかと心配してましたが、杞憂に終わりました(← もっと他に心配することあるだろうに)。
大統領暗殺前後の事象を、視点を変えながら繰り返すというトリッキーな構成が売りの本作。
勝手に命名しますが、こういった「暗殺もの」での、ひとつのクライマックスは暗殺場面なわけですが、このクライマックスが各登場人物の視点で繰り返されるので、繰り返しによるダレが全く感じられません。
それどころか、2人目の視点のパートに移った際「これは当たりだ・・・ワタシ好み!」と鳥肌が立つの感じました。
各々のパートで、同じ爆発場面でもカットや編集を変えたりして飽きさせない趣向を凝らしているのも感じましたし、各パートで明らかになる、または新たに提示される謎も観客の興味を持続させていきます。
そして物語はクライマックスのカー・チェイスに収斂されていくのですが、この場面の演出にも『ジェイソン・ボーン』シリーズの影響が見え隠れしてます。
キャストはデニス・クエイド、フォレスト・ウィテカー、ウィリアム・ハート、シガニー・ウィーバーと中堅どころの、一昔前はピンで主演クラスの役者が揃い、悪くいえば旬の華に乏しい、良くいえばそれ故に誰が犯人か分からないという、素材に対してのキャスティングとしては成功しているといったところでしょうか。
終わりまでダレるところない快作ですが、一つだけモノ申したいところが。
物語の決着のつけ方についてです。
ある場所で、あることが起こり事件が一挙に解決するのですが、アレだけの周到で非情・非道な犯人なら○※△がいても◇×でしょ!都合の良い結末に思えて、そこだけが残念でした。
しかし『ボーン・アイデンティティー』以後、アクション映画の流れは確実に変わってきたのを感じます。好みの映画が増えてきました。
この流れが、このまま一過性のスタイルに終わらないことを切に希望するのであります。PR
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